2024年02月29日

2月27日国際ロータリー2750地区大会

2月27日

7時起き。

野菜スープと生活クラブのピザにミニトマトとスモークサーモン乗せ。

10時半に新高輪グランドプリンスホテル国際館パミール。

私が所属する東京ピースウィングロータリーEクラブが所属している国際ロータリー2750地区大会。

毎年一回この会場で開催している。

2回の松葉に、新しいデジピを搬入。

山口彰ベーシストが運んでくれた。

カシオのPrivia。

木村ベンジャミンピアニストに色々と教えてもらって先月購入して今日初仕事。

今まで使っていたnord pianoは今茶音厨楽房にあって、レッスンと気楽セッションに使っている。

今年度の2750地区リーダー、宮崎陽市郎ガバナーと永子夫人の同期ガバナーご夫妻の昼食会でピアノベースデュオで演奏した。

曲は春の曲、オシャレな曲、エレガントな曲。

その後、地区大会に参加。

永子夫人は父方の親戚だ。

広い会場にたくさんのロータリークラブのメンバーが座っていて、壇上にお二人が座っているのを見て、感動と共に誇らしい気持ちになった。

東京ピースウィングロータリーEクラブは小さいクラブで海外のメンバも複数いて、今日は私を含めて6名がまとめて座っていた。

大会の最後の方に全部のロータリークラブを紹介して名前を呼ばれると全員立って大きな声で答える時間があって、私はFunky Ritsuco Version!メンバーが隣の宴会場ステージで楽器セットしているので、時計を見ながらその時間を待って、我がクラブが呼ばれたので立って大きな声で答えた。

そして早退して、ステージに行って音響セット楽器位置移動等準備。

16時からリハ開始、短めに全曲リハ。

みんなはその後控え室でお弁当をいただく。

私は隣の控え室で着替え等。

懇親会は1000名のご参加で18時開宴。

ステージ横に行って出番を待つ。

伊波淑percussion Andy Wulf sax 遠藤律子piano 小美濃悠太bass 岩瀬立飛drums

18時半過ぎ出番となり、最初からラテンノリノリでコーラス付きでパワー全開。

まだ宴会が始まったばかりで、皆さんは食事や歓談で、BGM的になっていたが、曲が進むにつれて前の席の皆さんが手拍子を初めて、私がステージから手をゆらすと同じ形でやってくださったり、手を振ってくださるようになっていった。

そして宮崎陽市郎がバナーを呼び上げてステージにセットした彼のドラムセットで叩き出すと、リズム楽器は3名になった。準備はできた。最後の「DALEーかごめかごめ〜ずいずいずっころばし」ロックになると、お客様方は立ち上がって手を繋いでステージ下のスペースでぐるぐる回り出した。

私はヘッドセットマイクを頭から外してピアノの椅子の上に置いて、ステージから階段で降りていった。

そしてお一人の方にまわりましょうと言って、会場を歩き出した。その方はついてきてくださった、後ろにどんどんとながってステージ下の踊りの輪は会場の大きな輪になっていった。

ステージでは、Andyサックス奏者が大ブローでアドリブしている。

リズム隊の重厚かつスピードある演奏。

ベースギンギンスイング。

輪から離れてステージ上に戻って岩瀬立飛ドラマーを見たらうなづいてくれた。

立飛さんとはたくさんのお祭りシーンで一緒に色々なことをしてきた。

ステージの上にあるバルコニーに二人で上がってカウベルを叩いたり、私がショルキー立飛さんが打楽器でお店の2階を練り歩いたり、FRV!の魂はずうっと今一番長く在籍している岩瀬立飛ドラマーであった。

コロナ禍で人と接触することや歌うことが制限されてFRV!もやめていた。

今日は久しぶりにお祭りエンディングを復活できた。

最後に三本締めを繰り返してアッチェルして怒涛の盛り上がり。

久しぶりの熱いライブ感、ロータリー親睦会で復活させて頂いた。

海外からのゲストの方々も一緒に踊って掛け声をかけてくださって、ロータリーがロータリーという名前であることを音楽で表現しているのだと思うと大感激。

終演後、ステージ下に降りていったら、最前テーブルのご高齢のゲストの方が「ずっと続けていってね」とおっしゃった。

続けいきましょう、有難うございます。

宮崎ガバナーとバンドでステージ中央で写真を撮っていただき、宴会がお開きになるまで控え室で待機。メンバーは皆、パーティでライブのノリの盛り上がりになったことに驚き喜んでいた。

皆さんの力が熱になったのですよ。

私は最初にキューバに行って、サンテリアの儀式に参加させていただき、音楽が人のつながりに力を発揮することを目の当たりにしてから、自分のバンドをお祭りが少なくなった都会のお祭りバンドとしてやっていこうと思って続けてきた。

それは自らを解放する道のりでもあった。

自分の心を開く時、みなさんとつながれる。

幸せを共有できる。

そういう音楽をやりたいとずっと続けてきた。

皆さんが喜び幸せになりつながれるために音楽を捧げてきた。

ステージを片付けて解散。

また一緒にやりましょう。

私は自分の衣装などが最後になり、控え室で荷造りしていつも良い大きなスワニーキャリーケースを引いて歩き出した。

みなさんがおかえりになったフロアで、宮崎ガバナーが残っていた。

少しお話をして、今度は4月12日コットンクラブチャリティライブ頑張りましょうと言い合って帰ってきた。

帰宅して、お弁当を食べなかったので冷蔵庫の料理を食べていたら猛烈な眠気に襲われて寝込んでしまった。

夜中に起きて、ああつつがなく終わってよかったと安堵した。

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